巴が亡くなりました

 17年前に私たちの家族の一員になった紀州犬の巴がなくなりました。

 

しばらく泣いたり、食欲不振になったりしましたが、1週間経って落ち着いてきたので、記録を残します。


 

 7月21日に、巴が17歳になりました!の誕生日祝いの写真です。この頃はフラフラはするものの歩いていました。

ケーキなどは食べないので風船だけ

このころ、お散歩には登山用のハーネスを使っていたのですが、もっとしっかりした歩行補助用のハーネスに変えました。


8月22日
 
2026年の夏は比較的すずしく、老体の巴の体には比較的楽だったのはよかったです。
巴はやっぱり天使だから、神様が采配してくれたんだろうな。 
  



巴はだんだん色が細くなり、後ろ足を踏ん張れず、うんちも寝てやるようになりました。

夜中に、鳴くようになったため、8月半ばでは気付けるようにラズパイとセンサーを細工しました。。排泄する時が特に苦しいらしく、オオンオオンと泣いていました。普段は本当に泣かない子だったのです。

9月6日には、完全に立てなくなりました。9月9日の朝に病院につれて行った時には10kgありませんでした。全盛期には18kgくらいはあったのですが。9日に血液検査と、がんの検査をしてもらいました。横腹にこぶが前からあったのですが、これは良性に見える、と判断はされていましたが、念の為、ということで検査をしてもらいました。

 血液検査の結果、随分と腎臓の数値が悪い結果となりました。17歳2ヶ月なので、老化もありますが、腎臓のことは、2024年に手術したときも指摘されているので、長らく問題でした。食療法もしていましたが、愛洲のご飯も食べちゃっていたので厳密ではなかったです。

9月17日、私が出張に行っている間に、また吐いたので、旦那が獣医に連れて行きました。

心配で出張に連れて行ったハーネス

 次の日は獣医がお休みだったので、19日の朝に獣医に電話をかけることにしました。前の日の夜、ベッドぎわでチキンやローストビーフを差し出すと食べてくれました。

 これが最後の食事になりました。

 19日の朝、獣医に電話をかけて状況を伝えると、あと3日か、ながくても1週間と言われました。だいたい、そうだろうな、とわかっていましたが、泣いてしまいました。この時に、家に来て安楽死をしてもらえるかどうかを聞いたのですが、そういうことはやっていないと言われました。どうしてもというのなら、連れてきてくれれば、といわれましたが、しかしこの状態の巴を動かすのは彼女の負担になるため、やめました。米国ではそういうサービスがあります。

土曜日でしたがバレエは休みました。9月はシルバーウィーク もいつもの土曜日もバレエはほぼ行けていません。それでもオーロラ姫のバリエーションの回は大事なので、早朝の朝練でバレエスタジオとって5:30から予習しましてから、台風24号の中、勝どきのスタジオまで行きました。

この、20日(日)のバレエに行く直前、巴がひどく苦しんでうんちが出るのかな、とお腹をさすってあげていましたが、結局出ませんでした。金曜夜から何も食べていないのですが、スポイトで水を与えれば、舌を出して飲んでくれていました。

夜中にあげる悲鳴もこの頃から、掠れ声になっていき、 あまり反応もしなくなっていきました。

シルバーウィークには台風がきていたのですが、21日のレ・シルフィードの回には行きました。ただ、オーロラよりは私的にはそんなに重要ではなかったので、今から思うと、こちらは行かないで巴の近くにいてあげればよかったです。

台風の合間に、外の匂いを嗅いでもらいたいので、それでも散歩には連れていきました。


 22日、23日は、バレエはキャンセルして、ともえの近くまでコンピューターを持って行って仕事の処理などしてました。この頃は水も飲まなくなってきて、涎を垂らして、舌も出てきてしまうので、しまったり、口を拭いたり、目やにを落とすために目薬さしたりしていました。

ともえが楽にすごせるよう、鳥の声のヒーリング音楽を流していました。ずっとあきらめないで、私たちの姿をみている巴をみているのが辛くて、これを撮っていた時に泣いていました。 巴は全然寝ようともしてくれません。きっと痛みで寝ることもできなかったのだろうな。


 

23日は、おむつにうんちをしているのに気づいて、処理しましたが、うんちが赤みを帯びていて、下血しているのだろうなと、素人目に思いました。また、お尻の周りから何か黒い、緑のものが付着していて、内臓がもう壊れてきていたと思います。 

24日は家からの仕事することにしました。この朝、もう一度獣医に電話をかけて、往診の安楽死がだめなら、それができる他の獣医を紹介できないか、と聞いてみました。(というのは初診で安楽死をお願いすることはできないと思ったからです)それもやっていない、ということでした。検索すればそういう方はいるので、初診でも聞いてみたらと言われました。

そこで、探してみつけて、初診で申し訳ないのですが、と、事情を話してその日の午後1に来てもらうことにしました。 

この朝私は熱が出てしまっていました。看病疲れと、寝不足があったのだと思います。巴のことも気になるので午後半休をとりました。 

 10時15分ごろ、私が11時からのミーティングの前にリビングに行くと、おむつにうんちをしていたので、旦那と二人係で替えました。この時はお尻を拭いてあげていると力弱く反応していました。

11時半ごろ、ミーティングを終えて下に降りてきたところ、全く反応がなくなっていました。目薬をさしても反応しません。

旦那を呼びました。「ねぇ、たぶん、もうともちゃんはここにいないと思う」と2階に向かって言いました。旦那が降りてきて、耳をお腹に当てて、いや、鼓動が聞こえるよ、と言いました。私たちではわからないので、とりあえず午後1に来てくれる先生に判断を任せることにしました。

お昼過ぎ、先生が来てくれました。状況を伝えると、聴診器を当ててくれました。

「この子の心臓はもう停止していますね」3つくらい当てて判断いただきました。 

 ああ私はどうして、あんな11時のミーティング に出てしまったのだろう?(しかも、お客様には悪いけど、蓋を開けたら全然喫緊の話じゃなかった!)熱があるのだから全日お休みにすればよかった。そうしたらともちゃんバイバイ、一人で寂しい思いさせなかったのに!

往診の先生はお尻を綺麗にしてくれたり、エンジェルケアをしてくれました。その分の料金は取らず、往診だけの請求でした。申し訳ないです。往診の先生が骨と皮だけになってしまった巴のお尻を見て、「犬は割とすぐにあきらめるのだけど、この子は6日間もずっとがんばって最後まで力使い切ったんだね。犬では珍しい(猫はあるそう)」と言っていました。ずっと、腎臓は悪くて少しずつ食が減っていたという話をしました。
火葬するまで「お腹の辺りにアイスパックをあてて、胃液が出でしまわないように、頭を少し高くして」とアドバイスいただきました

火葬の手配をして、24日の11時ごろに来てもらうようにしました。ちょうど24時間の時間になります。電話を切った途端、わんわん泣きました。日本語が話せる私が全ての連絡係をやらなければいけないため、ここで糸が切れたのだと思います。

ともちゃん、おやすみね

次の日、
ハイエースの火葬車がきました。火葬係の方はすごく丁寧に 説明をしてくれました。何度も、いそがずに、時間をかけてください、と言ってくれました。
うまく車まで運んだのですが、頭が動いてしまい、口から少し血が出てしまいました。

火葬する直前、本当にこの姿が消えてしまうのが悔しくて、わんわん泣きました。また来てね、と声かけました。

綺麗にお骨を包んでもらいました

 

ともえのベッドがなくなると
リビングが寂しくて広い

 

月曜日から仕事に出ましたが、 あちこちに巴をみかます。駅、オフィスの角、あ、トイレに入ってっちゃった。
仕事を終えて家に帰ると巴の昔のファイルを見返しています。こうして見返すと、私はあまりにも巴の存在を当たり前のものと感じていました。毎朝一緒に走って、手袋取られたり、ボール投げしたりしていました。巴は(愛洲と違って)信頼できるので、多摩川河川敷でリード離して走っていた記録もあります。

こんなに、純粋な善の結晶みたいな存在が近くにいたのに、どうして私はこんなにも、当たり前のように過ごしていたのだろう。私の記録は常に、巴と何かを撮っています。巴だけ、を撮っているものが少ない。巴と山、巴と海、巴と滝。なんてことを見逃していたのだろう。17年間も。

 それでも巴と過ごした時間は貴重であることは確かで、たくさん「ともともら〜♪ ばーかトーモラ♪」と変な拍子で呼べた時間があったことは、私は本当にラッキーだったなあと思います。

巴が家に来た頃は、自分がこんな小さく無防備な命の責任を持つことが怖くて、もしかしたら私は巴を殺してしまうのではないか、という妄想を頻繁にしていました。 結局そんなことは起こらず、巴は巴が自分で決めた時間をここで過ごし、去りました。

今は巴が犬だったとは思えないです。人間が定義した生物学的には犬だけど、存在としてはもののけ姫に出てくるシシ神や、モロの君(実際似てる)のような存在だったと思います。
 英語ではDemigodというのだけど、日本語ではなんというのだろう。
 
巴がなくなった夜、まだ火葬する前、夜中に物音がして、二階にいた私らが起きました。ペットカメラが動作検知をし、カメラが天井の扇風機にフォーカス当てました。扇風機に反応したことはないのに。
ともちゃんが、世界の要素に姿を戻した瞬間だったと思う。 

 

そして愛洲が一人になり、今日も一緒に走る

 少しずつ、バレエも再開し、日常に戻りつつあります。(メンタル落ちているので、ポアントは危険だからちょっと休みます)でも、巴がいない世界は私にとって当たり前にはならない気がする。だって巴がいる世界があまりにも当たり前だったので。

これから先、世界をどのように扱ったらいいか、よくわからなくなっています。
愛洲、助けて。 

 


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最後に、往診でいらした先生に、その日の早朝に書いたメールを記録に残しておきます

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初診で大変申し訳ないのですが、ターミナルケアの相談です。

巴はかなり高齢ということもあり、腎臓の血液検査の数値は数年前からよくありませんでした。

15歳の時、大きな癌の手術をしていますが、(https://blog.riot.jp/2024/12/blog-post.html#more)

その後の経過もよく、先月ぐらいまではよく食べてよく歩き、よく歩いていました。


が、9月の頭に歩くのがつらそうになり、夜中に泣くようになりました。

9月9日にかかりつけの「そら動物病院」に血液検査と、念のためと横腹の腫瘍の病理検査をしました。

腫瘍のほうは悪性ではなかったのですが、血液検査の腎臓まわりの結果がかなり悪いといわれました。

吐いたり、下痢したりするので、おなかの薬と下痢止めを17日に追加で処方してもらいましたが、18日の夜に寝ころんだまま、ささみとローストビーフを数切れ食べた後

食事をしなくなりました。19日土曜日の朝にかかりつけの「そら動物病院」に電話して状況を伝えたところ、食事がないままならあと3日から1週間といわれました。


シルバーウィークの間は、寝ころんだまま、スポイトで水を上げると舌を出して飲んでいましたが、おとといぐらいからは舌を出すのもおっくうなようで、

水も飲まなくなりました。

日曜日の午後、ウンチを出そうとして、かなり苦し気にしていましたが、ウンチは出ず、水曜日の午後にウンチは出ました。

しかし、赤黒くべたべたしたもので、素人目には下血しているように見えました。

今日の早朝、黄色い水を吐きました。また、同じようなうんちが少し出ました。

呼吸は辛そうにゼイゼイしているわけではないのですが、たまに、かすれ声で鳴いています。また、よだれと舌が出てしまうので、気が付いたらしまってあげています。


急なお願いで申し訳ないのですが、ご飯が食べれないのに一週間近く頑張っている彼女に、最後の時間はストレスなく、楽に過ごしてほしい、というのが飼い主の願いです。

善処していただければ幸いです。

よろしくお願い申し上げます。


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